2013年4月19日金曜日

p 075 インスピレーションの発見


「『ビジョン・プロセスのまとめ』を見せていただきましたが、こうした進め方で、まったく非現実的なビジョンが出てくるようなことはないのですか?」

「いいえ、それはまったくありません。この会議のプロセスは、そうしたことが起きないように組まれているのです。この段階で私たちは、二つのことをだけを考えます。一つはメンバー自身と会社を枠にあてはめている“思考の束縛”から自由になってもらうことと、そのことに対して責任を持ってもらうことです。そしてもう一つは、ワクワクするようなビジョンをつくり出せるように彼らを鼓舞することです。私たちの意図通りに事が進めば、とてもおもしろいことが起きてくるのです。」

『エンパワーメントの鍵』より

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どんなことが起こるのだろうか? と思うと、次の箴言が続きに書かれている。

あなたが何か偉大な目的や遠大な計画に駆り立てられたとき、
あなたは思考のすべての束縛を打ち破ります。
あんたの心はすべての限界を超越し、意識はすべての方向へと広がり、
あなたは自分が新しい、偉大な、すばらしい世界にいることに気づきます。
今まで眠っていた力や能力や才能が生き生きと働き出し、
自分が今まで夢にも思わなかったほど、すばらしい人間であることを、あなたは発見するのです。

ーパタンジャリ
山川紘矢・亜希子訳『聖なる知恵の言葉、魂のためのガイドブック』(PHP研究所)



至高体験そのもの表現している。僕らはふつうはじめから人間だと思っているが、実はそうでないのかもしれない。ヒトとして、人生修行をする中で、人間へと至るのだろう。ルドルフ・シュタイナー著「神智学」などに詳しくあるが、人間の次の階梯は天使だという。



不良企業を買収をし、再生させるというビジネス・ストーリーという文脈の中で、この本『エンパワーメントの鍵』が持っている本来のメッセージは、人間賛歌なのかもしれない。



人間賛歌といえば、『ジョジョの奇妙な冒険』のコンセプトである。善人の中にある悪、悪人の中にある善。相反するものそれぞれの内に持ちながら生ききる登場人物たち。そこには、生きることにひらすらにポジティブなエネルギーを感じる。



ルドルフ・シュタイナーは、人間の中に渦巻く「悪」の力を、アーリマン的なものと、ルチフェル的なものに分けた。

そして、アーリマン的なものに対抗する手段を神智学的修行に基づいた認識、判断力とした。その一方で、ルチフェル的なものへの対抗する手段を道徳とおいた。

人間を上方へと軟化させるルチフェル的チカラと下方へと硬化させるアーリマン的チカラ。この相反するチカラの直中で、生きることを人間というのかもしれない。



天地人という言葉は、よくそれを表していると思う。そして、新体道の創始者、青木宏之氏はそれを「天・地・人々・ワレ」としたことの意味は、今後も考えていきたいところだ。

2013年4月17日水曜日

p 070 ビジョン会議はどこでやるのか?



「なるほど。ところで、その会議はどこで行われるのですか?」

「決して社内ではやりません。私たちは、会議が行われる場所がそのプロセスに大きな影響を与えると考えています。だから場所は慎重に選びます。だいたい、メンバーが常日頃慣れ親しんだところから離れた場所で行うようにします。そうすることによってメンバーが、既存の考え方のパターンや癖などから自由になれるからです。そしてそこは、緊張とくつろぎ、楽しさと真剣さ、創造と分析、拡張と収縮、といったそう反する意識の状態を、参加メンバーが体験しやすいところでなくてはなりません。」

『エンパワーメントの鍵』より

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私が、仕事をしていて、自分自身の仕事のイメージや段取りなどを構築する際には、ほとんどの場合、次の二つである。

一つは、歩いているとき。

もう一つは、ランチを食べているとき。

だから、大切大事にしたい企画などについては、歩きながらランチをするお店に出かけ、誰かと話しながらランチをし、歩いて帰ってくる。そうすると、ほとんどの段取りが整う。

企画を実現するために、さまざま考えるとネガティブなスパイラルに陥るときがある。そんなときは、歩くにかぎる。歩くという行為をすることで、不思議とそのスパイラルから抜け出すことができるからだ。

「歩くこと」と「思考すること」は、そういった意味で私には非常に結びついている。



「歩くこと」と「思考すること」をもう少し結びつけてみたい。よくよく自分の考動を観察すると、こんな癖があるようだ。

・思考を深めたいときは、思いっきりゆっくりと階段を下る。

・一気に思考の深みに到着したいときは、階段を飛び降りるように下る。

・一気に思考を昇華したいときは、階段を駆け上がる。

・思考をメタ的に確かめたいときは、階段をゆっくりと登る。

・平地を前にさまざまな足取りで進んだり、後ろに下がったりとする。

まぁ、いろいろとやっている。

すると、「緊張とくつろぎ、楽しさと真剣さ、創造と分析、拡張と収縮、といったそう反する意識の状態」に自分自身が入って行くというわけだ。



こんな試みをステークホルダーを一堂に会してやるわけだから、どこがいいかというのが現代社会においては結構難しいものだ。

それが昔であれば、茶室であったり、禅寺の枯山水を観ながらであったりしたのだろうけど・・・

意識の四つの作用である「拡張、収縮、方向づけ、集中」は、今や自分自身で動かすには、難しい時代になっているのかもしれない。外側からの刺激が多すぎるのだ。

それだけに、意図的に意識を動かす練習が大切大事な時代といえるだろう。

それにどんなものがあるか、今度リストアップしてみたいと思う。

p 066 ビジョン会議


「ビジョン会議は、私たちが主要な関係者たちとの間に築いていく、開放的でしかも信頼できる関係の表れであると同時に、新しいものを創造していくための拠点として位置付けられるものです。もしメンバーからの疑いを招けば、情報公開の面で私たちは過ちを犯したことになります。どのような情報も包み隠さずメンバーに知らせることが、信頼を勝ち取る第一歩になるのです。とにかく、適切な情報を知らせなければ、メンバーたちは最善の選択をすることができないのです。」

『エンパーメントの鍵』より

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ここでいうビジョン会議というものは、長らく日本の場合は「飲ミニケーション」という場で行われていたのかもしれない。

また、歴史上では、茶会であったり、歌会であったのかもしれない。

別の見方をすると、会社などの給湯室での会話や、今や喫煙所でのモクモク会話なんかがその役割を担っているのかもしれないとも思う。

今の時代、会議というオフィシャルの場でどれほど情報を相互交換できるかが未来の扉を開く鍵なのだ。そして、発達するWEB環境を使ってできるかが。

しかし、その方法を私たちは長らく封印しているのだととも思う。

なぜか、それは情報が恐いのだ。爆発的に膨らんだ情報社会で、私たちは知らず知らずに情報恐怖症に陥ってるともいえる。

だから、夢も希望も語れなくなってしまったのかもしれない。

対話が大切大事と叫ばれる中で、私たちは、「受容と対峙」という他者と関わる方法を忘れ、自分自身の殻に閉じこめられ、蠢いているのだ。

そう思わずにはいられない今夜である。

2013年4月16日火曜日

p 064 現在地を確かめる


「もし、あなたある会社を買収して、その業界における有力企業に発展させようと考えたら、買収前にまず何をしますか?」

「まず、会社の状態や経営環境について、できる限りしらべるでしょうね。」

「その通りです! 自分が一体どこに行きたいのか、どうやってそこまで行くのかを確かめる前に、まず自分自身が今どこにいるのかを知らなければならないのです。そこから、ビジョンを描くプロセスが始まります。まずビジョンづくりに先立って、私たちはその会社の実態、それに影響を与えるか、あるいは与えかねないすべての事柄について知ろうとするでしょう。そこには、現時点での情報はもちろん、過去の実績や未来の可能性に関する情報も含まれます。」

『エンパワーメントの鍵』より

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現在地を明らかにすることが、始まり。確かにその通りだ。そして、それをステークホルダーを一堂に会して行うというから驚きです。当然といえば、当然のことですが、これをやろうと思うとかなりの労力を必要としますからね。

ネイティブ・ハワイアンの伝統的な問題解決手法に「Ho'oponopono(ホ・オポノポノ)」というものがあります。問題の加害者と被害者を一堂に会して、互いに懺悔し、悔悛し、浄化するプロセスを通して、祈りを捧げるというものです。

「ホ・オポノポノ」は“全責任を負う”ことを基本とするハワイに伝わる癒しの方法です。この伝統的な方法を一人でもできるようにしたのが、モナ・シメオナで、セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノを創始しました。そして、それをイハレアカラ・ヒューレンが世界各地で教えています。日本でもホ・オポノポノというとこの手法を指すことが多いですね。

起こっていることは、全て自分自身の責任であり、それは記憶が原因である。一瞬、一瞬を愛と記憶のどちらで生きるか。それを選択することが私たちはできるといいます。しかし、できることは、ただひたすらに記憶をクリーニングすること。だたそれだけだというわけです。

ステークホルダーを一堂に会したとき、それとは別に一人クリーニングをすることで起こることは様々な視点からの情報が浮き彫りになるということです。情報が浮き彫りになります。自分自身の思いこみや価値観という主観からは、決して得られることのない情報も得られます。

それらを客観化できれば、私たちはいかようにでも関わることができます。
また、情報が増えることで、これまでの思考のパターンでは処理することができなくなり、新たな思考を組み立てれることが求められます。ゆえに、問題はすでに問題ではなくなってしまうということなのではと思います。

何はともあれ、自分自身が陥っている思考のループから抜け出す方法があるといのは、うれしい限りです。あとは、それを実践するか、しないか。ただ、それだけにかかっていますね。

2013年4月15日月曜日

p063 ビジョンとは、崇高な目的である。ビジョンは人々の意識を拡張させ、 方 向づける。


「より良いもの、より意義があり目的があるもの、ワクワクするものへ向かって意識や感覚を拡げていくとき、私たちはそれまで決して触れることのなかった内に潜むエネルギーを引き出すのです。そのときこそ、私たちのより深いところに潜んでいたパワーが引き出されます。平凡な人々や非凡は成果を達成するということがありますが、すべてこうしたことが起こっているのです。それが本当のエンパワーメントです。こうして、それまで明らかに限界と思われていたことを超えて個人も企業も伸びていくのです。その伸びが大きいか小さいかは問題で
はありません。エンパワーした企業はそのビジョンに向けて発展し続けるんどえす。」

『エンパワーメントの鍵』より
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「平凡な人が、非凡な成果を達成する」。私たちは、この事実を知っている。ソビエト連邦の崩壊、ベルリンの壁の崩壊、イラクの民主化、エジプト。そして、キューバの成功。そこには、崇高な目的があり、ビジョンがあった。危機もあった。しかし、危機こそがチャンスだった。ビジョンが人々の意識を拡張させ、方向づけた。湧き出たエネルギーが引き出され、方向づけられることで、流れがうまれた。流れは、さらに人々のパワーを生み出した。

今、私たちの目の前には、危機ばかりが並べられている。危機こそがチャンスというが、共有するビジョンがない。だから、動けないのだ!! は言い訳にしか過ぎないのではないか。

動かないから、仲間がいないのだ。
仲間がいないから共通のビジョンが描けないのだ。

ビジョンとは、行動とともにある。そう思わずにはいられない。


「一生のうちに、自分の内に秘められた能力を使いつくすような人はほとんどいない。決して使わることのない能力が井戸の中で眠っているのだ(リチャード・バード)」

 深い井戸に潜んでいるパワーを掘り当てるのは、誰か? もちろん、自分自身だ。そして、そんな自分自身とともに行動してくれる仲間からのエンパワーがあるからこそできることである。

p062 ビジョンは未来につながる手段


「多分、インスピレーションの急所、つまり、目的とビジョンを探すことでしょう。」

「その通りです。ビジョンは未来につながる手段です。未来はまた現実になっていませんから、ビジョンは将来起こり得るが、しかしまだ目に見えないもの、を扱うことになります。それは頭の中で思い浮かべることはできても、実際にまだ目でみることはできないのです。」

『エンパワーメントの鍵』より
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「俺は海賊王になる!!」のワンピースのモンキー・D・ルフィー。彼の目的は新世界に殴り込み、海賊王になること。

マンガを読んでいて思うことは、ルフィーの中にしっかりとした海賊王のビジョンがあるのだと感じる。彼の行動は原理は、その一点つきる。

そして、各々のビジョンを持った彼の仲間がいて、それぞれのビジョンが一枚の絵のように重なり混ざり合い一つの海賊団ができている。

そうして、常にエンパワーメントしないながら、物語が進んでいる。そう感じずにはいられない。



「ビジョンは未来につながる手段」というのは本当にそうだと思う。

しかしなぜか、今や世界は手段に溢れている。手段が誰もがとれるようにしっかりとしたツールにもなっている。

そうした中で、なにが大切大事かといえば、やはりビジョンだといわざるおえない。

だからこそ、問いたい。

ビジョンはどこからやってくるのかと。いや、いかにして私たちはビジョンを認識できるのかと。

あれ? ルドルフ・シュタイナーの著書『いかにして超感覚的世界を認識できるのか』とタイトルと似てしまった。

「ビジョン」を言い換えると、「超感覚的世界」ということになるということだろうか?



ビジョンはあくまで、自分自身で構築し、手に入れるものとすれば、このことを大切大事にする教育の一つがシュタイナー教育ということができるだろう。大人の場合は、それが日常実践を通した修行となるが。

2013年4月14日日曜日

p060 改革に先だってやるべきはリーダーの再配置


「リーダーが改革をサポートするかどうかはっきりしないことほど、企業の体力を消耗させることはありません。二、三年前に私がコンサルタントをしたある会社で、会長が社長に社内改革のためのプログラムを実行させようとしました。しかし、社長はうまくいくことがはっきりするまで、そのプログラムに熱心に取り組みませんでした。社長が半信半疑だったために、そのプログラムを機軸に乗せるのにとても苦労しました。プログラムは、その不安を取り除くことができなかったこと以外は成功したと言えるのですが、当初から社長に信頼され、サポートを得られていれば、無駄な時間とお金をかける必要はなかったのです。」

『エンパワーメントの鍵』より
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何か事を成そうとする際には、必ず二つの力が働く。エンパワーするチカラとディパワーするチカラ。

それらが外部からやってくるケースと内部からやってくるケース。

チカラの総体が100としたとき、エンパワーのチカラとディパワーのチカラの配分がどれくらいかと考えるといいんじゃなか。



別の話で、小林正観さんから教えられたことで、今でも私の行動指針としていることがある。

何かを選択する際は、「するか、しないか」の心のバランスで51:49で、したい、してみたいならすればいい、というものだ。



これと先のことは、どのように結びつくだろうか? と考えてみると、こうなるかな。

選択したら、常にエンパワーし続け、やり続ければ、いい。常に「創意と工夫」を旨として。