2013年5月13日月曜日
p 101 現実的であろうとすることが可能性を制限する
「だからこそ、私たちは会議の中で"現実的"という言葉を用いないのです。なぜなら、その言葉は、そのとき感じる限界を表すもので、意識や過去の経験やコミットメントを収縮させてしまうからです。"現実的"であろうとすることは、可能性を制限することになります。何かやろうとすることが可能かどうかを判断するには、もっといい方法があります。この段階では、私たちは可能性をつくり出すことだけを求めています。大事なことは、自分が本当に望んでいることは何なのかに焦点を当て、選択することです。そして、自分自身の基本的な価値観に沿って、そこに至るためにすべきことを何でもやろうとすることです。」
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確かにそうだ。「現実的」という言葉を吐くとき、私たちは自分自身で自分たちの可能性に限界を設けている。
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もっというと、積極的に限界を設けることで、現実から逃避しているかのようだ。
そうなれば、エネルギーは一気にディパワーされる。積極的にディパワーすることで、変化をしないことを選択しているかのようだ。
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これも、高度経済成長期のようにイケイケどんどんのようなビジョンがある時代はよかったのだろう。
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それも、外から与えられたビジョンの中で眠らされ、機械の歯車にされていたからだろう。
しかし、今やそんなビジョンが嘘だったことは、ちょっと勉強すれば明らかだ。
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「みんなの国家」の「みんな」とは、個々人という考えなんてありゃしないのだ。
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これからの時代は、一人一人が共に立ち、共にビジョンを描き、生きていく時代。
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さぁ、どう生きるかが問われている。
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