2013年5月18日土曜日

p 105 目標の基準を設定する


「企業レベルの意識は、ビジョンが実現されたときに現実となって現れる成果に向けられて収縮され、集中していきます。ビジョンは全体像を示し、インスピレーションとエネルギーと目的を生み出します。そして鍵となる基準は、行動と選択のための詳しい情報を提供してくれます」

『エンパワーメントの鍵』より
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ビジョンは、インスピレーションとエネルギーそして、目的を生み出す。

これには、「そうか!」と手をうちたい。

多くのケースで「ビジョンが大切なんです!!」なんて声を上げると、人は「目的」を作りだそうとする。または別のケースでは、「目的が大事だ!!」といって、目的をつくり出そうとするが、ビジョンがない。こんなケースが多々見受けられる。



「ビジョン」と「目的」の関係が、こうなっているとは、誰もが知っているようで忘れている真実だ。



そして、「鍵となる基準」。

これに基づいて目的達成のための「目標」と「戦略」が決められていく。これも聞けば至極まっとうなことだが、そうなっていないのが世の常。



「ビジョン自体は変えられないが、基準はいつでも加えたり削ったりできます。(p 107)」

そして、
「問題なのは基準でなく、その基準を達成するための方法なのです。(p 110)」



こうなると、「戦術と戦技は、どうなってるの?」ということになるのかな?

2013年5月13日月曜日

p 101 現実的であろうとすることが可能性を制限する


「だからこそ、私たちは会議の中で"現実的"という言葉を用いないのです。なぜなら、その言葉は、そのとき感じる限界を表すもので、意識や過去の経験やコミットメントを収縮させてしまうからです。"現実的"であろうとすることは、可能性を制限することになります。何かやろうとすることが可能かどうかを判断するには、もっといい方法があります。この段階では、私たちは可能性をつくり出すことだけを求めています。大事なことは、自分が本当に望んでいることは何なのかに焦点を当て、選択することです。そして、自分自身の基本的な価値観に沿って、そこに至るためにすべきことを何でもやろうとすることです。」

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確かにそうだ。「現実的」という言葉を吐くとき、私たちは自分自身で自分たちの可能性に限界を設けている。



もっというと、積極的に限界を設けることで、現実から逃避しているかのようだ。

そうなれば、エネルギーは一気にディパワーされる。積極的にディパワーすることで、変化をしないことを選択しているかのようだ。



これも、高度経済成長期のようにイケイケどんどんのようなビジョンがある時代はよかったのだろう。



それも、外から与えられたビジョンの中で眠らされ、機械の歯車にされていたからだろう。

しかし、今やそんなビジョンが嘘だったことは、ちょっと勉強すれば明らかだ。



「みんなの国家」の「みんな」とは、個々人という考えなんてありゃしないのだ。



これからの時代は、一人一人が共に立ち、共にビジョンを描き、生きていく時代。



さぁ、どう生きるかが問われている。

p 088 マスタリー


「私たちは自分が望むものすべて手に入れられるのです。私たちが見つけ出さなくてはいけないのは、どうやってそれを手に入れるか、つまりプロセスです。その発見の鍵は『マスタリー』であり、手段となるのが意識であり、スキルはいかにその意識をうまく使いこなせるかということです」

『エンパワーメントの鍵』より

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マスタリー。訳者注では、名人や達人の域に達するまで自己研鑽を積むという意味とある。



ジョージ・レナード『達人のサイエンス―真の自己成長のために』(日本教文社)を以前、読んだ。

ちまたでうたわれる「成功」の概念を一変させてくれた。

優秀であるより、馬鹿であること。一大飛躍の時よりも、『プラトー(伸び悩みの時期)』のほうが大切大事という。

平常心をもって、苦悩の渦に飛び込み、もがくことが達人だという。



道を求めるものは、道に謙虚にあること。そして、道を歩むことをやめないこと。



達人とは、「永遠の初心者」というわけだ。

2013年5月12日日曜日

p 083 ビジョンとインスピレーションとエネルギーの関係


「ビジョンが活気を生み出し、インスピレーションが推進力をつくり出し、エネルギーがビジョンを実現する! ビジョンが、それ自体を実現するためのエネルギーを生み出しているのですね?」と、私は興奮しながら言った。

「常に集中し、ビジョン実現のためなら何でもやろうとすれば・・・」と、ボブは微笑みながら一言つけ加えた。

『エンパワーメントの鍵』より
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図示してしまうと分かった気になるが、問題はいかにすれば、それができるかだ。



エネルギーは、もともとあるものだといわれる。しかし、いかにエネルギーに満ちた状態をつくればいいのだろうか?

それは、「動き」や「言葉」をいかに消化するかにかかっているのだろう。

しかし、この消化の仕方、つまり理解の仕方を学校で習っていない。

子ども時代はできたのに、学校に上がり、外からの評価にさらされるまで、できたことができなくなってしまうからだ。

エネルギーが湧いてこないように教育されているかのようだ。

不思議でならない。



インスピレーション。

確かに大切だ。しかし、それを私たちの日常は、どれほど許されているだろうか。また、自分自身のインスピレーションにどれほど敏感に気づける状態にあるだろうか。

インスピレーションの反対を、ホ・オポノポノでは記憶としている。U理論では、ダウンローディングといわれる。私たちは常に記憶を再生しているのだ。その記憶から自由になる自在であることを、禅やタオは「いま、ここ、わたし」という。

さぁ、どうやって記憶から自由自在になるか。

その方法は、私が探した限りだと次のものが有効だ。というか、この三つしかない。

(1)体操:柔操と養気
(2)瞑想:集中と洞察
(3)礼拝:感謝と悔悟



ビジョンとは、「リーダーシップのプロセスそのもの」という。

リーダーシップには、3つある。
(1)自分自身へリーダーシップ
(2)チームへのリーダーシップ
(3)社会へのリーダーシップ

いずれも、ビジョンが大事になる。

では、いかにして私たちはビジョンを得るかだ。

『エンパワーメントの鍵』では、「意識の拡張、収縮、方向づけ、集中」だという。

この方法も、先にあげた方法との関連を見つけることができる。



ビジョンとインスピレーションとエネルギーと、体操と瞑想と礼拝を関係付けると、次のようになる。

エネルギーを得たいなら、体操せよ。
ビジョンを得たいなら、瞑想せよ。
インスピレーションを得たいなら、祈り拝め。

こうなるだろう。

とにもかくにも、私が一番自由にできるラボラトリーとは、自分自身のカラダ以外にないからだ。

2013年5月9日木曜日

p 079 選択の質問


「会議で会社の現状が検討された後に、私たちはメンバーに『選択の質問』を投げかけるのです。」

「もし私たちが今しているようなことをし続けたとしたら、そして、これまでの道を歩み続けるとしたら、五年後はどうなっているだろうか?」

『エンパワーメントの鍵』より
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会議に限らず、私たちの日常の会話に耳を傾けると驚く。「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」、小林正観さんのいう五戒が次から次へと口から溢れている。



そして、それを楽しんでいるかのようだ。皮肉な話だ。釈迦が一切皆苦といったが、本当にそうだ。



まさに地獄で暮らしているとしか思えない。「南無地獄大菩薩」だ。



同じことの繰り返しの先に待つのは、同じことの繰り返し。当然のことだ。しかし、実はそうでない。なぜか、私たち自身は歳をとり、私たちを取り巻く状況は常に変化するからだ。



では、どうするか?

日常の偶然を必然に変え、突然を自然に変えていくしかない。

2013年5月8日水曜日

p079 会社の脆弱な面は、社員自身の脆弱な面


「その会社の脆弱な面というのは、会議メンバー自身が、今後引きずりたくないと思っていることでもあるのです。なぜなら、会社の脆弱な面は彼ら社員自身の脆弱な面でもあるからです。一度データが明らかになり、必要な情報が得られると、ヤン・カールソンが言うように、彼らは『責任を負わざる得ない』のです。まず初めに、会議メンバーは皆一斉に同じデータを見て、そして行動を起こすことを決めるのです。」

『エンパワーメントの鍵』より

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「脆弱」とは、もろさ、弱さである。松岡正剛さん的にいえば、「負」ということになる。

この「負」とは、ホ・オポノポオ的にいうならば、悠久の歴史の中で私たちのカラダに蓄えられた記憶・データといういうことになる。



だからこそ、この「負」に目を向けて、一心に愛することで、その記憶と向き合うことが大切大事なわけだ。

自分自身を縛る記憶・データがあることに気づいたなら、一度、テーブルの上に置いてみることができる。

テーブルに置くことができれば、その記憶・データは、私たちを縛るものから、愛し労り、許すことができる対象へと変わる。



そうすれば、私たちの「負」である記憶・データを「手放す」ことができる。

「手放す」ことができれば、エンパワーメントで大切大事になるインスピレーションを「迎え入れる」ことができるわけだ。