「まず初めに、本当に望むもの、つまりビジョンは何か、を明らかにしなくてはなりません。それから、自分たちがやれることを制約している束縛を解き、人々をエンパワーすることによって、そのビジョンの基準を達成する方法を考え出します。それは必然的に変化を伴います。エンパワーメントと変化は関連して起こります。どちらか一つだけを起こすことはできないのです。しかし、あなたの提示した同時に難しい基準を満たすような問題を克服するために、私たちはもう一つ質問をします。」
「すべての基準を満たすことができるようになるために、私たちはそのようなことをどのような方法ですることができるのか?」
『エンパワーメントの鍵』より
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変化が求められる時代であるが、変化をしない時代でもある。そうした時代で変化をしていくにはどうしたらいいのか? それがエンパワーメントであるということになる。
変化とエンパワーメントとは、切っても切れない関係ということだ。
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「問題なのは基準でなく、その基準を達成するための方法」。言われてみれば、至極当然のこと。
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だけど、僕らはその方法というものを学んでこなかった。学校教育はそのことを教えない。それどころか、変わる方向性までを決めてくるから驚く。
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だから、どうするかといえば、「学ぶ」わけだ。問題にいくら対処してもその問題は解決されない。問題をいくら解決しても学びはない。私たちは、問題から学ぶことを学ばねばならいのだ。問題から学ぶことができれば、自ずと問題は解決するし、二度と同じ問題には出会わない。
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しかし、私たちは問題を解決したときの達成感に酔いしれるがために、問題からは学ばない。今、自分自身持っている解決方法が使える問題を発見し続けているだけなのだろう。
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そこにお金が払われる資本主義経済はやはり何かがおかしいのかもしれない。いや、確実におかしいとしかいえない。
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弁護士が法律の枠の中で裁判・訴訟ゲームをしているのと同じ構造だ。彼らは決して法律を作り出すことはできない。それができるのは、誰か?
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私とあなた、私たちしかいないのだ。なぜか、それを忘れさせるしくみに社会がなっているのに驚きだ。
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