2014年9月15日月曜日

p119 日常的な仕事と価値を一致させる

「ええ。大切にすべき価値と一致した社員たちの行動は、結果的には自分たちの経営の仕方となり、会社全体の習慣になっていきます。そして、その価値は、企業文化となります。こうなると、会社全体が規則によって駆り立てられるのではなく、価値によって駆り立てられるようになるので、経営をコントロールする必要性は薄れていきます。そして徐々に、役員や管理職が本当の意味のでリーダーとなっていき、責任やイニシアチブ(率先して考え、動くこと)はラインの下の方に移っていくようになるのです」
『エンパワーメントの鍵』より
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家庭も会社も政治も行政もそうなんだけど、「大切にすべき価値」がなんなのか? それを話し合う時間ていうものはどれくらいあるのだろう?

言葉を尽くして語り合うってことがことのほか少ないように思う。気がつけば、思い込みにしばられていたり、ルールに縛られていたりして。

だから、私たちは命令されたり、ルールがないと何もできないと思い込んでいる。

もっとルールを編集していくことは出来ないものだろうか? これは、松岡正剛氏の編集術に習うに限るかもしれない。

価値に基づいた自律的な思考と行動、まさに自由そのものだ。未だ人類が得たことのない体験かもしれない。

さまざまな組織でその構成員が自由になればなる。なんとも理想的なそしきではないか? 民主主義ってヤツかもしれない。

民主主義とは、一人のリーダーによって成り立つものでなく、たくさんのリーダーによって成り立っているものなのだから。

そんなリーダー同士が個々人の内で戦争を治め、内なる平和をもって対話するものなのだろう。

2013年11月7日木曜日

p114 「以下の対象に対して、もし私たちが自分たち自身が望むような人間に な れ、会社もまた望むような会社になれるとしたら、私たちが持ち続けなけれ ば最 も重要な信念と価値は何か?」

「以下の対象に対して、もし私たちが自分たち自身が望むような人間になれ、会社もまた望むような会社になれるとしたら、私たちが持ち続けなければ最も重要な信念と価値は何か?」
・企業内の人々
・顧客
・関係者(組合、株主、銀行など)
・ビジネス(業界、競争相手)
・世界とのかかわり

「ええ。この質問は、企業がビジョンに向かって進んでいく過程で、企業や社員の行動を導いていけるような、書くとなるいくつかの価値と信念に焦点を当てています。」

『エンパワーメントの鍵』より
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では、どうやって? と思うと、続きがあります。



「なるほど。でもどうやったらその価値を人々に浸透させていくことができるのでしょうか?」

「まず最初に、その企業のリーダーたちが自分たちが大切にしようとする価値に基づいた行動をし、その価値を認めていくことが特に重要です。後で説明しますが、企業のあらゆる部署の人々がその価値を選びますから、その価値を受け入れてもらうことは、そうむずかしいことではありません。しかし、重要なことはその価値が継続的に表明され、認められ、支持され続けていることです。そして人々がその価値に見合った形で勇気づけられ、支えられてることです。」




そういうことか、価値をわざわざイベント的につくるのではなく、日常的につくるということなんですね。そうなると、リーダーといわれる人々は、リーダーという名の覇者的な存在ではなく、王者なんだろうな思うのです。



その後、具体的にイメージできるストーリーが続きます。ここのぜひ、本を手に取り読んでいただきたいところです。



そして、最後に心底納得できたのは、次のところでした。



「企業経営のいかなる部分も、企業の目的と大切にすべき価値に一致していなければならないのです。人材採用のプロセス、昇進の規定、功績を認めたり表彰したりする制度、研修、より大きな仕事への企画立案、メディア・キャンペーンなど、企業戦略を実行に移す個々のシステムは、その価値を補強するようにデザインされなくてはなりません。」

p109 不可能を可能にする鍵


「まず初めに、本当に望むもの、つまりビジョンは何か、を明らかにしなくてはなりません。それから、自分たちがやれることを制約している束縛を解き、人々をエンパワーすることによって、そのビジョンの基準を達成する方法を考え出します。それは必然的に変化を伴います。エンパワーメントと変化は関連して起こります。どちらか一つだけを起こすことはできないのです。しかし、あなたの提示した同時に難しい基準を満たすような問題を克服するために、私たちはもう一つ質問をします。」

「すべての基準を満たすことができるようになるために、私たちはそのようなことをどのような方法ですることができるのか?」

『エンパワーメントの鍵』より
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変化が求められる時代であるが、変化をしない時代でもある。そうした時代で変化をしていくにはどうしたらいいのか? それがエンパワーメントであるということになる。

変化とエンパワーメントとは、切っても切れない関係ということだ。

「問題なのは基準でなく、その基準を達成するための方法」。言われてみれば、至極当然のこと。

だけど、僕らはその方法というものを学んでこなかった。学校教育はそのことを教えない。それどころか、変わる方向性までを決めてくるから驚く。

だから、どうするかといえば、「学ぶ」わけだ。問題にいくら対処してもその問題は解決されない。問題をいくら解決しても学びはない。私たちは、問題から学ぶことを学ばねばならいのだ。問題から学ぶことができれば、自ずと問題は解決するし、二度と同じ問題には出会わない。

しかし、私たちは問題を解決したときの達成感に酔いしれるがために、問題からは学ばない。今、自分自身持っている解決方法が使える問題を発見し続けているだけなのだろう。

そこにお金が払われる資本主義経済はやはり何かがおかしいのかもしれない。いや、確実におかしいとしかいえない。

弁護士が法律の枠の中で裁判・訴訟ゲームをしているのと同じ構造だ。彼らは決して法律を作り出すことはできない。それができるのは、誰か?

私とあなた、私たちしかいないのだ。なぜか、それを忘れさせるしくみに社会がなっているのに驚きだ。

2013年6月30日日曜日

p107 ビジョン自体は変えられませんが、基準はいつでも加えたり、削ったり で きます。


「何が彼らの興味とインスピレーションを維持し、ビジョンを"本当"のものにするかにかかっています。私たちは、エネルギーを集中させ続けるために、できれば鍵となる基準の数は少なく抑えたいと思っています。五つか七つぐらいでしょうか。その基準はいつでも変えられますし、力点を変えることもできます。ビジョン自体は変えられませんが、基準はいつでも加えたり削ったりできます。そうすることで、ビジョンは維持されたまま、企業の実際の活動を柔軟に進めることができるのです」

『エンパワーメントの鍵』より
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ネットワーク地球村の高木善之さんは、「人生のチャート」を持とうとおっしゃる。

「人生のチャート」とは、航海図のことだ。一つは目的地。その目的地にたどり着くまでに通るいくつかの目標地点。目標地点に到着するまでの成すいくつかの日課。そして、日々の航海日誌である。

・目的
・目標
・課題
・日誌

実にわかりやすい説明だ。


では、目的とはいかなるものかといえば、それは「なぜ」ととい続けていった先にあるものという。

つまりは、人生の究極のゴールのことだ。そこからいくつかの目標を定めて動き、課題も常に変更を加えていくというわけだ。

日誌は、日々の振り返りのために書く。


『七つの習慣』で紹介されているアプローチそのものというわけだ。


私も以前、このチャートを完成させたことがある。あれから毎年見直しをかけているつもりではあるが、ここら一度、作り直そうと思う次第だ。

2013年5月18日土曜日

p 105 目標の基準を設定する


「企業レベルの意識は、ビジョンが実現されたときに現実となって現れる成果に向けられて収縮され、集中していきます。ビジョンは全体像を示し、インスピレーションとエネルギーと目的を生み出します。そして鍵となる基準は、行動と選択のための詳しい情報を提供してくれます」

『エンパワーメントの鍵』より
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ビジョンは、インスピレーションとエネルギーそして、目的を生み出す。

これには、「そうか!」と手をうちたい。

多くのケースで「ビジョンが大切なんです!!」なんて声を上げると、人は「目的」を作りだそうとする。または別のケースでは、「目的が大事だ!!」といって、目的をつくり出そうとするが、ビジョンがない。こんなケースが多々見受けられる。



「ビジョン」と「目的」の関係が、こうなっているとは、誰もが知っているようで忘れている真実だ。



そして、「鍵となる基準」。

これに基づいて目的達成のための「目標」と「戦略」が決められていく。これも聞けば至極まっとうなことだが、そうなっていないのが世の常。



「ビジョン自体は変えられないが、基準はいつでも加えたり削ったりできます。(p 107)」

そして、
「問題なのは基準でなく、その基準を達成するための方法なのです。(p 110)」



こうなると、「戦術と戦技は、どうなってるの?」ということになるのかな?

2013年5月13日月曜日

p 101 現実的であろうとすることが可能性を制限する


「だからこそ、私たちは会議の中で"現実的"という言葉を用いないのです。なぜなら、その言葉は、そのとき感じる限界を表すもので、意識や過去の経験やコミットメントを収縮させてしまうからです。"現実的"であろうとすることは、可能性を制限することになります。何かやろうとすることが可能かどうかを判断するには、もっといい方法があります。この段階では、私たちは可能性をつくり出すことだけを求めています。大事なことは、自分が本当に望んでいることは何なのかに焦点を当て、選択することです。そして、自分自身の基本的な価値観に沿って、そこに至るためにすべきことを何でもやろうとすることです。」

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確かにそうだ。「現実的」という言葉を吐くとき、私たちは自分自身で自分たちの可能性に限界を設けている。



もっというと、積極的に限界を設けることで、現実から逃避しているかのようだ。

そうなれば、エネルギーは一気にディパワーされる。積極的にディパワーすることで、変化をしないことを選択しているかのようだ。



これも、高度経済成長期のようにイケイケどんどんのようなビジョンがある時代はよかったのだろう。



それも、外から与えられたビジョンの中で眠らされ、機械の歯車にされていたからだろう。

しかし、今やそんなビジョンが嘘だったことは、ちょっと勉強すれば明らかだ。



「みんなの国家」の「みんな」とは、個々人という考えなんてありゃしないのだ。



これからの時代は、一人一人が共に立ち、共にビジョンを描き、生きていく時代。



さぁ、どう生きるかが問われている。

p 088 マスタリー


「私たちは自分が望むものすべて手に入れられるのです。私たちが見つけ出さなくてはいけないのは、どうやってそれを手に入れるか、つまりプロセスです。その発見の鍵は『マスタリー』であり、手段となるのが意識であり、スキルはいかにその意識をうまく使いこなせるかということです」

『エンパワーメントの鍵』より

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マスタリー。訳者注では、名人や達人の域に達するまで自己研鑽を積むという意味とある。



ジョージ・レナード『達人のサイエンス―真の自己成長のために』(日本教文社)を以前、読んだ。

ちまたでうたわれる「成功」の概念を一変させてくれた。

優秀であるより、馬鹿であること。一大飛躍の時よりも、『プラトー(伸び悩みの時期)』のほうが大切大事という。

平常心をもって、苦悩の渦に飛び込み、もがくことが達人だという。



道を求めるものは、道に謙虚にあること。そして、道を歩むことをやめないこと。



達人とは、「永遠の初心者」というわけだ。